【誰得コラム#2】るろうに剣心-京都編-屈指の名場面の令和版アニメに対する感想

こんにちは、はるです。
今回も始まってしまいました!はるがお送りする「誰得コラム」。
これは誰の得にもならない記事をコンセプトとした筆者の感想シリーズです。
今回のテーマは令和版アニメ「るろうに剣心-京都編-」の名場面、剣心が天翔龍閃を会得するシーンの感想です。
あくまで個人の感想なので、気軽にお付き合いいただけると嬉しいです!
るろ剣屈指の名場面に対する令和版アニメの感想
まず最初に結論から言うと、、、
平成版アニメの方がよかったぁぁあああ
といった感想でした。
こういうと、「出たよ懐古厨」とか「はいはい老害乙」って意見が聞こえてきそうですが、なぜそう感じたのか自分でも深堀りしてみました。
ちなみに、令和版アニメはAmazonプライムやU-NEXTなどで見れるので、「まだ新しい方は見れてないよ〜」という方は、以下のリンクから飛べます。
U-NEXTでは第三十九話、アマプラではシーズン1エピソード15のタイトル「生と死の間で」が今回の本題となるシーンです。
ぜひ平成版アニメと見比べて欲しいんですけど、平成版はYouTubeに名場面が転がってると思うんで拾ってください。
「るろうに剣心 天翔龍閃」とかで検索したら出てくると思います。
もしかしたら令和版も切り抜きとかならあるかも…?(消されてなければ…)
なぜ平成版アニメのほうが良いと感じたのか?
どうしてもリメイク作品のアニメって、なにかと比較されてしまいがちですよね。
「いや、お前らが勝手に比較するんだろ!!!」って言われるとぐうの音も出ないのですが、作品への熱量が高ければ高いほどそうなりがちな気も。
最初に言っておくと、平成版も令和版もそれぞれ良さがあって、リスペクトは双方にある前提で話を進めます。
それじゃ原因分析スタート。
アニメのBGMが不利過ぎ問題
これはもうマジで本当に令和版アニメが不利すぎる点だと思いました。
というか、平成版るろ剣のBGMが神すぎて霞んでしまう事態に…。
単純に相手が悪すぎて初戦で優勝候補に当たった強豪校、みたいなイメージで良いんじゃないかと思うレベル。。。令和版は悪くない…。
なんか最近のアニメって、るろ剣に限らず印象に残るBGMだったり効果音があまりないような気もしています。
これって歳を取ったことによる弊害なのか…?あるいは、本当にBGMへの力をアニメが入れなくなったからなのか…?は不明ですが。
オープニング曲とエンディング曲はちゃんと聞くし、良いと感じたものは覚えれるんですけどね。
とにかくBGMの印象があまりに薄くて、意図的に流さないようにしているとさえ感じてしまいます。
逆にいうと、平成版アニメで感じられるように、これほどBGMがシーンの臨場感だったり視聴者の感情を揺さぶるのに効果的だったと知れた機会でしたね。
ちなみに、僕が絶賛している平成版アニメのBGMは曲名が「Warriors Suite」と「The Last Wolf Suite」ってやつです。YouTubeで検索したら出てくると思います。
このBGMだけでご飯3杯食べられるwwwってくらい好きです。やはり思い出補正なのか…?
BGMの出しどころ(演出)が微妙
BGMに関する話題が続いてしまいますが、平成版アニメはBGMの出しどころ(演出)が優れてるなあって感じました。
どういうことかというと、盛り上げるところにはBGMで臨場感を加えて、剣心の回想シーン→気付きの瞬間、で無音になる演出がもう神憑り的に良かったんです。
そもそも前章で触れたBGM良し悪し問題があるので、感じ方にも補正が掛かっている可能性ありますが、令和版は平成版の逆を行くような演出だったように思いました。
「ここでBGM出さないの?」や「逆にここから流すんだ…」というような、平成版とオンオフが逆を行くような印象でした。厳密に並べて比較してないから、あくまで印象の話だけど。
あれなんですかね?最近のアニメはリアリティを追求してて、余計なBGMや視聴者に余計な盛り上がりを見せないために、無音の演出が流行ってるんですかね…?
確かに現実世界は日常生活にBGMなんてものはないので、リアリティを追求するならアニメにもBGMは不要で、イケボ声優陣の声と映像だけで完結するほうがリアルなのかも…。
でもあくまでアニメはファンタジーという思いがあるので、ポイントでは臨場感を音楽で演出しても良いんじゃないかなあと個人的に思いました。
一瞬の刹那にみんなが喋りすぎて違和感
もう今回の記事は、比古清十郎と緋村剣心が天翔龍閃を伝授する名シーンに絞った話なので、局所的すぎて申し訳ないです。
が、最後にこれを言いたい。
令和版アニメの剣心が九頭龍閃を打ち破る(=天翔龍閃の会得)直前、
喋りすぎじゃね…?
と感じたのは僕だけでしょうか…?
原作のセリフを忠実に再現すると、あのような形になるのだろうか?
回想シーンも少し冗長というか長く感じました。
あくまで平成版アニメを絶対正義とした比較ならば、その結論にしか至らないと思うとイケてない考察かもしれぬが…。
剣心が天翔龍閃を会得できたのは「生きる意志」の気付きがあったからで、その瞬間を無音とフラッシュバックで表現されていたのが平成版。
一方、令和版では仲間たちの声とともにこれまでのシーンが回想されて剣心の気付きに。
どちらにも良さはあれど、平成版の余白がある方が個人的には好きですかねえ。
なんとなく令和版では1から10まで説明されて、「ほら、剣心はこういう理由で生きようとする意志に気付けたんだよ〜」って言われてる気がして、余白がない感じがした。
あと、まさに九頭龍閃を喰らう瀬戸際と回想のバランスなのかも。
セリフが多いと体感的に回想シーンが長く感じられて、状況的な違和感があったのかも。
そこにBGMやら演出の違いで、トータル平成版がよかったという感想に…。(と、懐古厨が申しております)
まとめ
今回の誰得コラムでは、令和版アニメ「るろうに剣心-京都編-」の個人的に大好きなシーン、剣心と比古清十郎の奥義伝授における感想を紹介しました。
まあ原因分析の通り、BGMの質、出どころ、演出のトータルで平成版の方が好みだったという話です。
思い出補正も多分に含まれてるかもですが、るろ剣に限らず色んなアニメ演出が時代とともに変わってきているのかなあ、とも思います。
最後に、天翔ける会得のシーンは平成版アニメの方が好きでしたが、このあともたくさんの名場面が残されていますので、筆者は楽しみに追っていきたいと思います!
ちなみに、作画や映像の綺麗さでは令和版アニメが完全に勝っています。(平成版のデフォルメも好きですけどね…)
最後まで読んでくれてあざっした〜。